彼は本国、自分は他国に留学中。
 物理的に遠く離れているので、逢えるのは月に数日だけ。彼が仕事のついでに立ち寄ってくれるか、自分が研究の合間に帰国するか。
 メールや電話が途切れることはないが、さりとて頻繁にあるわけでもない。まあ、婚約者として出逢って数年も経つのだから、こんなものだろう。年数だけ見れば十分倦怠期を迎えていてもおかしくはないが、幸い無縁である。
 ちょうどよい距離感なのだろうな、とひさしぶりに逢う婚約者を出迎えながら、は再会の喜びといとおしさを噛みしめた。何度繰り返しても飽きることのないやり取りを今日もまた行えることが幸せだった――そんなこと、決して彼に言いはしないが。
 アヴァロンのタラップを降りてきたジノは、「!」と明るい声を響かせて、大きな身体をかがめての頬に唇を寄せた。再会のキスを笑って受け止めてから、自分も彼の頬にキスをする。
「無事に着いてよかったわ」
 お決まりの文句だったが、ジノは嬉しそうに笑った。彼の少し照れたような笑い方を見ると、自分に向けられた好意が一目でわかって、はいつもそれだけで満足だった。ナイトオブラウンズとしての任務が忙しくてたまにしか逢えないことも、それを隠れ蓑にジノがちょっとした火遊びに興じるのも、その笑顔と好意と、どうしても捨てられない“年上”の矜持で帳消しにできた。
「今回はどれくらいゆっくりできるの?」
「明日の朝に、チョウフ基地に行かなくちゃいけない。でもそれが終わったら一週間くらいはゆっくりできるよ」
「長いのね」
 珍しい、という響きを込めて言う。有休を取ったんだ、と言われて、さらに首をかしげてしまった。どうしてあらかじめ教えてくれなかったのだろうか。それなら、どこかに行く予定を立てたってよかったのに。
だって研究があるだろう」
「そりゃあ年中ね。というより休みの感覚がないのよ、主任からしてアレだから。……わたし、三日しか休み貰ってきてないの。たぶんセシルさんに頼めばどうにかなると思うけど」
 ほんの少し責めるような口調になったのはいなめない。多忙なナイトオブラウンズが一週間も休むだなんて、昨日今日ぽんと決まったとは思えない。なんで連絡しなかったの、と言いたいのを堪えてジノをじっと見上げると、ジノは気まずそうに視線をそらした。
「ちょっと……いきなりの有休だったし、私も驚いて」
 なぜかジノは歯切れが悪い。ラウンズ内でなにかもめ事があって、それで急に休みと称して追い出されたのだろうか。そんな不穏な考えが浮かぶほどジノにしては暗い表情をしていた。
「……まあ、いいわ。いっしょにいられるのは嬉しいし」
……」
「あなたはちょうどよいときに来たわ、ジノ。エリア11ではバレンタインデー商戦が始まったところだったのよ。いっしょにチョコレートを食べましょう」
 その言葉にジノはぱっと表情を明るくする。おかしで喜ぶなんて子供みたいだ。
 車に乗り込むと、さきほどまでのちょっと暗い陰はどこへやら、にこにこして、ランスロットの出来栄えはどうだと訊いてくる。トリスタンの調子も一通り聞き終えた頃、車が政庁に着いた。
「わたしの部屋で食べましょう」
 先に車から降りて、これから降りようとしているジノに手のひらを差し出す。ジノはなぜか手をつなぐ寸前で躊躇するような動きを見せたが、結局すぐにしっかりと指をからめてつないできた。違和感を感じたが、気づかないふりをする。
「……今日はどこを回ってきたの?」
「いつも通り中華連邦だよ」
「星刻は元気だった?」
「ああ、相変わらずだったよ、あの御仁は。スザクやルルーシュ殿下はお元気かな?」
「殿下と呼ぶと怒るわよ。ジノは今回長くいるんだから、みんなでどこかに行くのもいいかもしれないね」
 取り留めのない世間話をしながらの私室に入って、電話で紅茶を頼む。ジノの緑のマントを片付け、チョコレートを奥の部屋から持ってきたところでちょうどよく飲み物がきた。
「お茶にしましょう、ジノ」
 小さなアンティークテーブルに紅茶とチョコレートを並べて、向かい合わせに座る。また取り留めのない世間話が始まったが、ジノの気がそぞろなのにはすぐに気づいた。チョコレートを二粒ほど食べたところで、はカップを置いた。
「ジノ、疲れてる? 少し休んだ方がいいんじゃない?」
「いや……」
 ジノは意外そうな顔をして否定しかけたが、思いなおしたようで、そうだな、と視線を落とした。
「夕食まで間があるし……それまで寝ようかな」
「そうした方がいいかも。部屋の準備ができたか訊いてみるね」
 ジノの様子がおかしいのは単純に疲れのせいとは思えなかったが、機密事項に関わることが多いラウンズ相手に、なにが大変なのとは迂闊に訊けなかった。話せることなら自分から話してくれるだろう。
 今はそっとしておこうと思ったのだが、ジノは「ここで寝たい」といいだした。ここで、とは、のベッドで、だ。
の傍にいたい」
「いいわよ、別に。ベッドくらい使っても」
 了承を得たジノはベッドに移動して、端に腰かけた。手袋をとって、上着を脱ぐ。ブーツに手をかけているところでは近寄っていって、彼がベッドに放り投げた騎士服を集めた。研究室ではロイドの世話を焼くことが多いせいか、放り投げられた服につくだろうしわが気になって仕様がない。
 上着を簡単にたたんで、手袋といっしょに胸に抱える。ほかの服はない。もう脱がないのだろうかと思ってジノを見ると、彼はシャツの胸元をはだけさせたまま、こちらをじっと見ていた。その視線がいつもとは違うように感じて戸惑ってしまう。
「どうしたの?」
 ひさしぶりに逢うせいなのか、ちょっと見ない間に精悍さが増したのか。人懐こい笑みがないと、ずいぶん大人びて見えた。
「……、髪、ほどいてくれないか?」
「髪?」
「そう、私の」
 ジノの金色の髪は頭の下の部分だけ長い。その長い部分を何本かの細い三つ編みにしているのだ。は彼の頼みを別に妙だとは思わなかった。すぐにうなづく。
「いいよ」
 騎士服をベッドの上に置いて、ジノの正面に回って髪に手を伸ばす。甘えたいのだろうと予想したとおり、ジノはの腰の後ろに両手を回してきて、首を伸ばしてキスしてきた。肩に手を置いて軽く寄りかかり、舌をからめる。
「ジノ……」
 いとしくていとしくて、目を閉じて貪るように自分からも求めた。
 と、腰にあてられていた手に力がこもって、ぐいと引き寄せられる。目を開けてジノを見ようとしたら、ぐるりと世界が回転した。もともとジノは平均より体格がよくて、一方自分は女の中でも小柄なほうだ。その体格差に加えて軍で鍛えたジノの腕力をもってすればの身体はまるでぬいぐるみみたいに軽々とベッドの上にあげられてしまった。

 ジノが覆いかぶさってくる。いとおしむ、というような顔ではない。なんだか切羽詰まった目をして、唇だけでなく、首や耳などいたるところにキスを降らせてくる。
「なに……ちょっと……待って」
 さすがにいつもと違いすぎて、ベッドの上の方にずりあがりながら、両手でジノの身体を押し返す。けれどジノは大人しく押しのけられたりはしなかった。が逃げ出そうと上半身を起こしても、両腕をがっちりつかまえて、まるで「どこにも行かせない」と言わんばかりだった。それどころか急に鎖骨の辺りをつよく吸われて、我慢しきれずに悲鳴をあげた。
「ジノ!」
「なに?」
「なにって……っ! こ、こういうことは、まだ」
 苦情は最後まで言えなかった。ジノがの唇に押し付けるようなキスをした後で、結婚しよう、とだしぬけに言ったので、思わず目が点になって言葉を失いかけた。
「……はい?」
「どうせ数年後には結婚してるんだ。今してもなにも問題ないだろう?」
「そりゃ……理屈では、そうだけど」
「指輪はいっしょに買いに行こう。明日、仕事が終わったら。それから公爵にご挨拶にうかがおう。私の家にはその後でいい。大学は別に辞めなくていいけど、ロイド伯爵たちには挨拶しに行かないとな……」
「ちょ、ちょっと」
 矢継ぎ早に今後の予定を告げられても、そもそも自分はまだイエスと答えていない。しかしジノの中でとの結婚は決定事項だった。いや、としてもいずれは彼と家庭を持つことは想定していたから、プロポーズの返事自体はイエス一択だ。ただし問題は、そこではなくて――。
「だから、
 両の腕をつかむ、ジノの手の力が強くなる。手加減を忘れているのではないだろうか、というくらい、痛かった。
「いいだろう……?」
 苦しそうな顔で、尋ねられる。なにを、とあらためて問うまでもなかった。キスを許し、スキンシップを許し、それなのにそれ以上のコミュニケーションを一切、一方的に拒んできたのはのほうだ。ソレを知るジノに求められても、のらりくらりと逃げてきた。いいわけもたくさんした。ジノはそのたびしゅんとしながら、それでも、しようがないかと自分から引いてくれていたのに。
「ジ、ジノ……痛い、から」
「できるだけ痛くないようにする。優しくするって誓うよ」
「そうじゃなくて! う、腕がっ」
 ジノはぱっと手を離したけれど、間違いに動転して逃げるなんてことはなかった。小憎らしいくらい落ち着いていて、のことを見ている。結婚を申し込まれた以上、結婚するまで云々だなんていいわけは通用しないだろう。というより、ジノはのいいわけを却下するつもりなのだ。
 返事を待つジノの真剣な瞳から逃れるように顔を逸らしながら、必死になって、これまでにない画期的ないいわけを考える。でも、なにも思いつかない。思いつくわけがないと、自分でもわかっていた。
、ちゃんと責任はとる。だから許してくれないか。私も……いい加減つらいんだ。好きだから触れたくなるし、触れればもっと欲しくなる。それは私のわがままだから、わかってくれとは言わないけど」
 ジノの手が伸びてきて、頬に触れる。こっちを見ろとうながされているとわかっていても、顔を見られなかった。
「浮気もやめる。ちゃんと……ほんとうの意味で、大事にするよ。……それとも、はとっくに私に愛想を尽かしてたのか? それか、結婚する気はなかったとか?」
「ちが……ちがう、そんな風には思ってなかった。だ、けど……」
「だけど?」
「……恥ずかしい、し」
 ほかのいいわけが思いつかない。生理中だなんて嘘はつきたくないし、結婚を断るなんて論外だ。結婚をOKしたうえでこの場を切り抜ける手なんて、なにも思い浮かばない。しどろもどろにそれだけ言うと、ジノはほっと表情を緩めたようだった。
「恥ずかしい? ……それならくっついてれば、顔が見えないから大丈夫だろう」
 言いながら、ジノはの身体を抱きしめる。ここまでならいいのだ、ここまでなら。抱き合うくらいなら、何十回もしている。問題は――ジィ、と音をたてて、背中のジッパーが下ろされたことだ。
「それともうつ伏せになる?」
 ジノは身体を離すと、微笑みながらそう言って、ベッドの上にを押し倒した後でくるりと裏返した。扱い自体はとても丁寧で、手つきも優しい。なのにたやすく扱われているようなのが恥ずかしくて悔しかった。これは夢に違いない、と枕を握りしめ、噛みつきながら念じた。だってジノは自分の言うことならなんでも聞いたはずだ。だから実にスムーズにワンピースを足から抜き取ってどこかへやってしまったジノなど、の知っているジノではないのだ。
「愛してるよ、
 なんとも気恥ずかしいことをささやきながらのしかかってきたジノが、の身体の下に手を入れてスリップ越しに胸に触れてくる。自分の顔が真っ赤になっているのがわかった。だって頬が熱くて、目が潤む。
「ジノ……」
 耐えきれなくなって、とうとう口を開いた。からからに乾いたのどから、かすれた声が出る。だいじょうぶ、とジノが優しい声音でささやいた。重たい身体が少し浮いて、片手がスリップのすそから入ってくる。なだめるように、何度もちゅ、とかわいらしい音を立てて耳たぶや耳の下にキスされるのがまた気恥かしかった。甘ったるい行為のかたわら、ジノの両手がスリップをたくしあげるのだから、余計にだ。ほんとうにもう逃げられない。部屋は暖房がよくきいているのに、むき出しになった背中の上を通る空気だけは冷たく感じられた。その背にジノがあたたかい手のひらを載せる。
「……っ」
 ただ触れられただけでも反応してびくりと跳ねたの身体を押さえるようにジノは手に力を入れ、耳の中に舌を突っ込んできた。
「や……っ」
 ぞわりと背筋があわだつ。妙な感覚と感触に首をすくめて嫌がるに、だいじょうぶ、とジノは優しい声で言い聞かせた。
「私に任せてくれていい。今は恥ずかしくて顔も見れなくても、そのうち私の背にしがみつきたくなるから」
「……っ」
 いとしい婚約者ではあるけれど、なんて憎たらしいのだろう。ゆうべ爪を切ったりするんじゃなかった、と後悔しながら、今はまだジノの代わりに枕に噛みついておくことにした。





この感情に名前を付けて










 2万打記念に。
 大好きだし愛してるしかわいいと思ってる年下の婚約者だけど、ぶん殴りたいくらい腹立ったりもするし、欲情したりこわがったりもしちゃうわけです。
 実は本家サイトにこれの前の話がありますのでよかったら→
11.1.24.
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