空を見上げると、堪らない気持ちになる。
 自分を受け入れなかったこの地など焼けてしまえばいいと、幼心に本気で思った。
 人工物の生命をまるで営みから弾くかのように、容赦のない寿命を与えた摂理も。みずから作り出した失敗作を気軽に切り捨てる男も、憎くて憎くてたまらなくて、こちらの方こそが、その存在を許容できなかった。
 比べればプラントの方がまだしもマシに思えた。統制のとれた気候、社会、人々。滑稽な国家だったが、居場所を見つけてしまえば、それなりに居心地は悪くなかった。そう感じていたはずの場所でさえ、自分の手で壊したのだが――。
 狂っている世界が破滅する一助になれるのなら、残り少ない命がそこで尽きても本望だった。
 ――はずだった――。
 地球で暮らそうと言ったのは、だった。
 わたしたちは地球で育ったから地球に帰りましょうと彼女は泣き笑いの顔で言った。クルーゼと同じように、幼かった自分を無情に裏切ったこの地を焼こうとした彼女が、コーディネイターのふりをし続けていた彼女が、そう言った。
 好きにしろ、と――。
 クルーゼは、投げやりに答えただけだった。
 は言われたとおり、好きにした。住まいを見つけて、荷物を運び込み、クルーゼに多くを望まぬまま、自分はすべきことをしながら過ごしている。
 クルーゼが空を見上げていると、ときどき、宇宙が恋しいですか、と尋ねてくる。さあな、とはぐらかすと、きまっては「此処にいてください」と強制力を伴った声音で続ける。
 少しずつ終わりに近づいているこの体はすでに、シグーやプロヴィデンスに乗るどころか、宇宙にあがることすら辛いだろう。
 目を細めると、紺碧の向こうに、深い青が見える気がした。
 遠い空のその向こうは、群青なのか漆黒なのか定かでない宇宙が広がっている。どこまでも飲み込むようなあのソラを飛ぶことは、もう二度とない。果てのない、何もないソラを見ている時だけは、虚無感で怒りを忘れられた。あの瞬間は、もう死ぬまで得られないだろう。
「ただいま戻りました」
 ガチャりと音がして、の声がした。
 軍時代の貼りついた仮面のような微笑もどこへやら、傍目にも震えながら、マフラーと手袋を外している。
「寒いですっ」
「その醍醐味とやらを味わいたくて地球に住んでいるんだろう、おまえは」
「こんなに寒いと思わなかったんですよ」
「鍛えなおせ」
 すげなく答えて、クルーゼはが床に置いた買い物袋を手に、キッチンへと向かった。 むう、と唇をとがらせながらコートを脱いでいるを無視して物を片づけていると、クルーゼの両手が空になったのを見計らったかのようなタイミングで、が後ろから抱きついてきた。
「寒かったんですよ……」
「買い出し御苦労」
 それだけですか、と拗ねた声をあげたは、クルーゼの身体に回していた手を上着の裾から滑り込ませてきた。抱きしめるだけでは飽き足らずそれ以上に滑りそうなの手を服の上から掴む。
「……冷えた手で人の体をまさぐるな」
 眉間にしわを寄せて告げると、はあっさり手をほどいた。恨みがましい目でクルーゼを見上げてくるの頭を、ぐい、と押しやると、ますます恨めしそうな目になった。
「ひどい」
「どっちがだ」
 すい、と離れると、は「クルーゼさん、今日は冷たい…」と重苦しく呟いてキッチンから出て行った。
 すっかり落ち込んだらしくソファの上に寝転がるを見て、さすがに八つ当たりが過ぎたかと溜息を吐いた。
「甘いのと苦いのと、どちらがいい」
「え?」
「そんなに寒いのなら、温かいものを飲むといい。作ってやろう」
「じゃあ、とびきり甘いのでお願いします」
 跳ね起きて、満面の笑みで答える彼女の単純さが、少し羨ましかった。
 用意している最中、外を見ているらしいが話しかけてきた。
「今日は寒いからか、空、きれいに見えますね」
「……ああ」
「あそこに居たなんて、うそみたいですねぇ」
 いらだちに似た何かがわきあがって、言葉を返せなかった。そうだ。死ぬなら宇宙で死ぬのだと思っていた。地球は戦いの場としては物足りない。誰に対しても容赦のない真空の宇宙でこそ散りたかった。
 ココアを手に近づくと、のんびりと感想を漏らした彼女は、ソラには未練の欠片もなくクルーゼへと目を移した。
 いつもそうだ。彼女とは他の誰よりも境遇が似ているはずなのに、いつも自分とは違うものを平然と選ぶ。受諾か復讐かの二択で、憎しみを忘れる努力を選んだように。渋るクルーゼを説き伏せて、ここで暮らすことを決めたように。
「ありがとうございます」
 カップを受け取ったのに口をつけず、はこちらをまじまじと見つめる。
「……なんだ?」
「わたしは、クルーゼさんみたいな目の色の方が好きですね。きれいな空色。澄んだ海の色にも似てますよ」
「……」
 恥ずかしげもなくよく言う。
 はようやくココアを一口飲んだ。
「甘い」
「……甘いのが良かったんだろう」
「はい」
 甘いのが不満なのかと思ったが、そうではなかった。は再びクルーゼの顔を見上げて、これ作ったのクルーゼさんなんですよね――と、笑った。
「宇宙にいたことより、今ここで、二人でこうしている方が、もっとうそみたいです」
 たかがココアを作ってやったくらいで大げさだ。の横に座って、ソファに身体を沈めながら、クルーゼはため息混じりにぼやいた。
「私を引きずり下ろしたのはおまえだろう」
「ええ。甲斐がありました。おいしいココア」
 熱いココアをずず、と音を立ててすするの澄ました横顔を見て、クルーゼは呆れて外を見た。
 は昔から優等生然として、生真面目なふりをして、本当は抜け目のないやつだった。だから自分はまんまと足元を掬われて、隊長の座からも宇宙からも引きずり下ろされて、失ったものを地面から見上げることしかできない。
 もう届かない紺碧、空、宇宙。
 二度とこの目では見られないのだとしても、負けた代償だと彼女は言うだろう。
 小さなため息を吐いたら、が身を乗り出して、クルーゼの胸元を引っ張ってきた。頭を起こして望まれるままキスをしたら、甘いココアを少しだけ口移しされ、思わず顔をしかめた。
「よせ。私には甘すぎる」
「たまには良いのでは?」
 悪びれなくは言い放つ。軍の上下関係から脱した今、彼女をとめられるものはいない。もう一口いかがです、という誘いを、要らんとすげなく断るくらいしかできなかった。




届 か な い 紺 碧 に 重 ね た も の は な に
( 死 の 淵 か ら 墜 落 す る 日 ま で )





 30分後――。
「手、あったまったので、触ってもいいですか?」
 真顔で両の手のひらを見せてくるに、クルーゼは諦め半分で答えた。
「……好きにしろ」










死の淵(タイムリミット間近)にはもう立っていて、墜落する(死そのもの)日まで。

戦争終結前は、色んなことを知らんふりしている種ヒロと、種ヒロの本心に気づかないまま目で追ってる隊長、そしてそれに気づいていない種ヒロ ――という不毛な関係が好きで、戦後はぐいぐいいく種ヒロに押されまくりな隊長 という構図が好きです。

as far as I knowさまより
14.1.29.
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